中山小学校の歴史2
校歌校旗の制定について 「 昭和43年12月1日,待望の校旗,校歌制定発表会を持つことができた。校旗は豪華けんらんと輝き,無言の偉容の 中に何とも言えない親しみを感じさせた。 校歌は明朗にして雄大,上品でしかもたくましく,格調の高いすばらしいものであった。 新春をむかえ,昭和44年3月20日,卒業式が挙行された。 真新しい校旗が一人一人の卒業生のひとみに映じ,その目はきらきらと宝石のように輝いていた。 校歌を歌う姿もたのもしく,第1回卒業生としてのほこりと喜びにみちみちていた・・・・・・・・。」 (初代校長 門間慶寿氏) [ 開校20周年記念誌 ]より |
児童数のうつりかわり
「中山大滝?」 (昭和56年頃のお話) 「雨がふると校庭南東側に雨水が流れ,1段低い東側の中山保育所の入口に流れ込む。「中山大滝」の悪名があった。 冬はその水が保育所入口のコンクリート階段にこおりつき,子供たちや親がのぼりおりするのに非常に危険であった。・・・・・・。 中略 大雨,長雨のあとは,決まって北校舎1階教室の天井から雨がもった。2階で水をこぼした形跡はない。 調査の結果,屋上にたまった水が伝わって,1階教室に雨を降らすことが分かった。・・・・」 (第5代校長 大槻文善氏) |
宮城県沖地震について 「 時あたかもあの悪夢のような大仙台をパニック寸前までおとしいれた宮城県沖地震の翌年で,ご多聞にもれず校舎の一 部に被害を受け,教室閉鎖のため,特別教室,プレハブ教室生活の学年もあった。 廊下は児童一人ようやく通れるほどのスペースしかなく,机,こしかけの山が続く・・・・・・。」 (第4代校長 林睦夫氏)
「 忘れもしない開校記念日から間もなくの6月12日,宮城県沖地震の発生で,プレハブ教室の蛍光灯が落ちたり,ガラ スもわれたり。 校舎内の柱もひび割れが入る等ひがいがありましたが,校庭に走った数条の地割れの線に改めて地震のおそろしさを感じ ると共に,被害の軽少に安堵の胸をなでおろしたことでした。・・・・・・」 (当時PTA副会長 夏目洋子氏) [ 開校15周年記念誌 ]より |