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柳生和紙の歴史

生和紙の和紙づくりは、今からおよそ400年前(慶長年間=けいちょうねんかん)に始められました。仙台藩主(はんしゅ)伊達政宗(だてまさむね)は、米作り以外の産業(さんぎょう)もさかんにしようとして、福島県伊達群茂庭村(ふくしまけんだてぐんもにわむら)から、4人の紙すき職人(しょくにん)を柳生によんで、和紙づくりの指導(しどう)にあたらせました。
そのころ、この4人のほかに48戸の家で和紙づくりをしていたといいます。この土地は、きれいな水がゆたかで高舘山(たかだてやま)のふもとにあるため、山からふきおろす風により、すいた紙がかわきやすく、紙すきにはつごうがよかったのでしょう。
後には、近くの高舘(たかだて)村、熊野堂(くまのどう)村、吉田(よしだ)村でも紙すきがおこなわれるようになり、作り出される量もふえて、街でも紙を売る店があらわれるようになり、柳生和紙が有名になっていったのです。
その柳生和紙の普及(ふきゅう広くおしすすめること)につとめた
「小西小西利兵衛(こにしりへい)さんという方の功績(こうせきりっぱなおこない)をたたえた石碑が今も柳生地区の柳生寺(りゅうしょうじ)の境内(けいだい)残されています。

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●柳生地区にある「柳生寺」(りゅうしょうじと読みます。)

●正面入り口の右側に「紙漉きの碑」小西兵衛称徳碑があります。