西暦 | 年号 | おもなできごと |
1596年〜 | 慶長年間 | 仙台藩は、藩の収入をふやすため、柳生で紙すきを始めさせる。 |
1772年〜 | 安永年間 |
城下(じょうか)に紙を売る店ができる。 |
1798年〜 | 寛政10年 |
柳生紙(鼻紙・料紙)美濃紙(みのし)、漉返し(すきかえし)などさかんにすく。 |
1818年〜 | 文政年間 |
小西利兵衛(こにしりへい)の努力によって、傘紙(かさかみ)の作り方が伝えられる。 |
1830年〜 | 天保年間 |
元結(もとゆい)の紙や盆提灯(ぼんちょうちん)用の染美濃紙(そめみのし)も作られるようになる。 |
1865年〜 | 慶長年間 |
仙台藩で楮(コウゾ)紙の生産がさかんになる。 |
1867年〜 | 慶応3年 |
柳生和紙のためにつくした小西利兵衛(こにしりへい)をたたえる石碑が柳生雷神社(やなぎゅういかずちじんじゃ)に建てられる。このころ、柳生を中心として100戸の家で紙をすいていた。 |
1883年 | 明治16年 |
名取製紙(せいし)商工組合できる。 |
1897年 | 明治30年 |
紙すき業者、柳生・熊野堂・吉田で400戸にもなる。 |
1912年 | 明治45年 |
柳生全戸(90戸)で紙すきをする。 |
1914年 | 大正3年 |
柳生の強靭紙(きょうじんし=じょうぶな紙)全国に広まる。 |
1916年 | 大正5年 |
叩解機(こうかいき=コウゾを細かくくだく機械)を柳生に導入(どうにゅう)する。 |
1921年 | 大正10年 |
名取群の和紙の生産、県内第2位となる。 |
1950年 | 昭和25年 |
仙台和紙共同組合ができる。 |
1955年 | 昭和30年 |
障子紙(しょうじがみ)すき戸数10戸になる。 |
1964年 | 昭和39年 | 仙台和紙協同組合が解散(かいさん)する。 |